ニーダの手記02

プロローグ的なもの

 さて、手記を残そうと意気込んだものの、いったい何から書き始めたらよいものか……
 取り合えず、このゲームに囚われる直前の話でも書いておこう。

 その日、わたしは夕食の後片付けを済ませ、シャワーを浴びた後、姉にゲームで遊ぶことを告げてから自室に戻ると、机の上に置いてあるヘルメット状のゲーム機を手に取った。

―― ナーヴギア ――

 具体的な仕組みはよく分からないが、人間の五感全てを電子化し仮想現実に連れて行ってくれる魔法のゲーム機だ。
 そのフルダイブという体験は、ゲームに全く興味の無い――むしろ、ゲームは時間の無駄とさえ考えている――わたしを、足繁く仮想世界に通わせる程度には魅力的であった。

 ……もっとも、元々ゲームに慣れ親しんでいないわたしにとって、モンスターと戦うという行為が面白かった訳ではない。
 むしろ、戦闘ではバイト仲間が紹介してくれたパーティーの足を引っ張ってしまったし、その後、効率よく戦うための講釈を延々と――それこそ日本語を喋って欲しいと思うレベルで――小難しく話をされたため、経験値稼ぎ自体にはとても馴染めそうもない。
 むしろ積極的に関わりたくない。
 わたしは楽しみは仮想世界の風景を眺めることだ。
 お気に入りのポイントから眺める広大な風景は、たまにモンスターに襲われることを抜きにすればまさに絶景で、そこで大学のレポート地獄やバイトで溜まった疲れを取るのがわたしの日課になっていた。

 さて、今日も癒されに行きますか。

 わたしはベッドに腰を下ろし、ナーヴギアを被ろうとしたところで、その中に一通の封筒が入れてあることに気がつく。

『Liebe 密』

 表にそう書かれた薄いベージュ色の封筒には差出人の名前は書かれていなかったが、わたしにはその筆跡を見ただけで誰からの手紙かがすぐにわかった。
 郵便切手が張っていないところをみると、おそらく姉が差出人から受け取って、ここに入れておいたのだろう。
 あの姉は、わたしに渡さなければならない大切な物があった場合、こうやってわたしが必ず手に取る何かに入れておく癖がある。
 姉いわく、「あたしゃ~忘れっぽいから、これなら渡し忘れないでしょ?」だそうだ。

 …これはどうでもいい話だが、一回、洗濯した後にタンスへ仕舞い忘れたショーツを大学へ持っていくカバンの中に入れられたことがあり、凄い恥をかいた事があった。
 あの時、姉はわたしが大学に行く前に気がつくだろうと思っていたと弁明していたが、あれは絶対、姉が仕掛けたいたずらだ。
 思い出してしまったので、ここから無事に帰ることができたら改めて問い詰めてやろう。

 …さて、話が逸れたが、流れるような筆記体のローマ字。止め跳ねがしっかりと意識された漢字。
 封筒も飾り気さえないものの、どこか洗練された印象がある。
 ネットが当たり前のこの現代で、こんな真摯な手紙を作れる人物をわたしは一人しか知らない。

 ぶっちゃけ、わたしの父だ。

 わたしは机の引き出しからペーパーナイフを取り出し、封を開けると中の手紙を取り出した。


「元気にしているか? こちらは皆、元気だ――


 表書きと同じく生真面目と言うに相応しい文字で、家族の近況について淡々と書いてある。
 そして、手紙の最後は、「妹の進路について相談に乗ってほしいので、たまには少し顔を出しなさい。」と締められていた。

 ………………………………………ま、そういうことなら実家に顔を出すこともやぶさかではない。
 妹には 一生かけても返せないほど大きな借りがある。
 夏休み前にでも、少し顔を出してみよう……

 そう思いながら、手紙を机の上に放り投げ、部屋の電気を消してからナーヴギアを被りベッドに横たわる。
 電源オン。システム起動。
 意味不明なパラメーターが幾つも表示され、やがて五感全てが電子化される“フルダイブ”へと移行する。

 そんな最中、ふと思い出したのは、父が真夜中の礼拝堂で十字架の前に跪き、神に祈りを捧げている姿だった。
 ……そう。あの時、礼拝堂を照らす明りは月光しかなく、どこか幻想的な光景だったのを覚えている。
 もっとも、その姿を見たのは姉と暮らすようになった後、家族と顔を合わせずに自分の荷物を運び出すため、真夜中に自分の実家へ忍び込んだ時だったけれど……
 そんな場面を思い出して、わたしはくすりと笑った。
 あの時はいつものお勤めだろうと思っていた――ああ、書き忘れていたが、わたしの父は本物の神父様で、実家には教会が…というよりも、教会の隣に家が建てられたのだ。――が、今にして思えば、あれは家族のために祈っていたのではないだろうか?
 何となくそう思う。


 かくあれかし……か。


 わたしは久々に…、本当に久々にそのフレーズを呟いた。
 そして、無意識の内に両手をお腹の前で合わせていた。



 ――この日、
 神への祈りの言葉を久々に呟いたこの日に、
 わたしがデスゲームと化したSWOに捕らえられたのは、皮肉としか言いようがない……


  • 最終更新:2011-07-25 01:04:18

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